翻訳と辞書
Words near each other
・ 池田佳睦
・ 池田佳隆
・ 池田依來沙
・ 池田俊彦
・ 池田俊彦 (俳優)
・ 池田俊彦 (軍人)
・ 池田俊清
・ 池田信号場
・ 池田信太郎
・ 池田信夫
池田信夫 (野球)
・ 池田信正
・ 池田信輝
・ 池田信雄
・ 池田修
・ 池田修 (アラブ文学者)
・ 池田修一
・ 池田修一 (将棋棋士)
・ 池田修三
・ 池田修政


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

池田信夫 (野球) : ミニ英和和英辞書
池田信夫 (野球)[いけだ のぶお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

池田信夫 (野球) : ウィキペディア日本語版
池田信夫 (野球)[いけだ のぶお]

池田 信夫(いけだ のぶお、1950年 - 2012年11月24日)は、京都府出身の野球選手投手)、指導者。
== 経歴 ==
平安高校では1966年、1年の時に、3年生エース門野利治の控えとして夏の甲子園に出場。準々決勝に進むが報徳学園に敗退。この大会では2試合にリリーフとして登板〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。2年からエースとなり、1967年春の選抜に出場。2回戦で新居浜商に敗れる〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏は京滋大会決勝で守山高に敗退、甲子園出場を逸する〔。1年上のチームメートに四番打者の江島巧中堅手がいた。
1968年春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した大宮工の吉沢敏雄投手(慶大東京ガス)に抑えられ敗退〔、同年夏の甲子園にも出場するが、1回戦でまたも大宮工に9回逆転負けした〔。高校同期に石山一秀捕手、1年下に渋谷通一塁手川本浩次右翼手がいる。1968年ドラフト会議東京オリオンズに3位指名を受けるが拒否。
卒業後は法政大学に進学。東京六大学リーグでは1969年秋季リーグから4季連続優勝。一年上の横山晴久投手とともに二本柱として活躍した。しかし全国大会で優勝はできず、1971年全日本大学野球選手権大会1972年明治神宮野球大会とも準優勝にとどまる。リーグ通算38試合18勝8敗、防御率1.61、奪三振153。大学同期の長崎慶一外野手、伊達泰司外野手、松村彰士内野手がプロ入りしている。
1970年全日本大学野球選手権大会準決勝では、山口高志投手を擁する関大と対決。8回から横山をリリーフして好投し、今も選手権記録である延長20回まで進む。最後は2-3xでサヨナラ負けするが、大学野球史に残る熱戦として知られる。
大学卒業後は大昭和製紙に入社。1973年から都市対抗に5年連続出場。1975年都市対抗では河合楽器を完封し、チームの準々決勝進出に貢献した〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。現役引退後は拓殖大学第一高校の監督をつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田信夫 (野球)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.